境内で円陣になってバレーボールをした記憶があるのだけれど、今では参詣客もふえ、きれいに整備されているから、ちょっと記憶が結び付きません。
でも、見上げるばかりの石段や、木々の中にしっとりと立つ多宝塔の優雅な屋根の重なりは、少しも変わってはいません。
古刹のたたずまいやお参りした人の記憶は変わることなく残るのに、寺のありかた、接しかたは、時代とともに変わるんですね。
その一例が、これ。
本堂の天井に、びっしり打たれた、手裏剣のような板、板、板。これはなあに?
聞けば、参拝客が、お参りした証に残していった札なのだとか。
「西国三十三所も、札所、札を打つ、って言うでしょう?」
とはご住職。
えっ、それって、記念に残す千社札みたいなもの?
「ハハア、寺としては、勝手に貼られて困るんですが、昔は小うるさく言わんかったんでしょうなあ」
とは、なんと寛大な。
交通機関も今ほど発達しておらず、奥深いこんな山の中まで参詣に来たその心がけに免じ、こだわることなく庶民の思いを受け入れた、それがこの天井の札打ちの跡なんですね。だって庶民にとってはここまでお参りするのは、何ヶ月も前から楽しみにした一大イベントだったでしょう。やっとおまいりできましたと、その感慨を刻んで残していきたかったのですね。気持ち、わかりますよね。
そういえば少し前、バチカンのサンピエトロ寺院に落書きした日本人学生に謝罪させろしないので大騒ぎになったことがありましたね。寺院側では、いいよいいよと、泣いて謝る学生を笑って抱擁していたシーンが印象的でした。あれも同じ。本物の神やほとけは、庶民のどんな愚かな行為も赦して受け入れる、そういうおおらかなものであるのに違いありません。
寺院をそうした無知な庶民の祈りの場としてとらえないで、文化財として眺める現代人からすれば、落書きだなんてとんでもなくて、保護という立場からうるさくなっているのでしょうね。
だけどご住職のおっしゃるように、昔は、ありがたい寺院というのは、触れて、拝んで、ひざまずく、そういう密接な存在だったに違いありません。
事実、数えきれないお参りの人が墨で残していったこれら記念の落書きだって、数百年の時を経てみるて、すっかり溶けこみ、落書きだなんて思えなくなっています。
神もほとけも悠久の時の中にあり、ほんとにおおらかだった時代の名残。ぜひ一乗寺では、天井も見てくださいね。
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